Lens Impression
Steinheilシュタインハイル社が設立されたのは1855年ですが、その活動のスタートは1939年、まさにダゲールによって写真術が発明・公開された年と言ってよいでしょう。
創業者はドイツの物理学者でもあったカール・アウグスト・フォン・シュタインハイル(Carl August von Steinheil 1801-1870)で、彼は1939年に後にSteinheil法と呼ばれる塩化銀とボール紙を使ったドイツ発のダゲレオタイプでの撮影を成功させ、さらに同年末にはオーストリアのグロッシェン銀貨の片面を研磨してそこにダゲレオ画像を撮影する超小型カメラを開発しています。
1855年に光学機器工場を設立して本格的に事業化に取り組み始めましたが、1862年には息子のアドルフ・フーゴー・シュタインハイル(Hugo Adolph
Steinheil, 1832-1893)に譲りました。アドルフは友人のザイデルと共同で1866年に数学的光線追跡技術を取り入れた「アプラナート」というf6のレンズを開発した。ルートヴィヒ・ザイデル(Philipp
Ludwig von Seidel)はドイツの数学者、光学者、天文学者です。光学分野では「ザイデル収差」や1856年に出版した収差理論に関する著書などで名を残しています。
このアプラナートは、屈折率の差が大きく分散が近いレンズを、レンズ面をすべて絞りに対し凹面を向けて貼り合わせており、貼り合わせ面の曲率を上げて、色消し条件を満たしながら、球面収差を補正しました。さらに対称型で歪曲収差、コマ収差なども良好であり、最大F6と明るかったこともあって人気を得たレンズです。一方、旧ガラスのみの対称型であり、曲率も高いため、ペッツバール和はまだ大きく、周辺の像面には課題(非点収差)がありました。改善が図られたのは、新(イエナ)ガラスの発明以降となります。同じ頃イギリスではJ.H.ダルメヤーが同じ設計のラピッド・レクチリニアを発表し、このレンズの特許がイギリスで取得できなかったために、イギリス市場と棲み分けるような形になった。
今回のレンズは同社が第二次世界大戦中に開発したと思われる「試作レンズ」だと思われます。「Triplar」という名称のレンズは同社にありますが、50mmで純正ライカマウントというものは市販された記録がありません。レンズ構成はユニークな「逆テッサー型」です。上図のレンズ構成は逆ではありません。
描写は非常にしっかりとしたものですが、開放で撮影するとバックには球面収差過剰補正によると思われるリング状のボケ、いわゆる2線ボケが見られます。非常に小型の沈胴レンズですが、Steinheilのらしい優れたレンズと言ってよいでしょう。
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